IV.誰もが一度は耳にした

ニューミュージックと呼ばれた音楽やその他の音楽が変遷してJ−POPと呼ばれる音楽へとその遺伝 1976年、米国でジョージ・ベンソンが「ブリージン」というアルバムを発表しました。 同氏は、主にジャズ界で活躍してきましたから、そのアルバムに収録された楽曲には全米が驚きました。 その証拠に米ビルボード誌ではポップ・R&B・ジャズ部門で同時に1位に輝くという快挙を達成して います。 同年には、ボズ・スキャッグスが「シルク・ディグリーズ」というアルバムを発表しています。なかな かヒットに恵まれなかった同氏でしたが、同アルバムに収録された「ウィー・アー・オール・アローン」 という曲は誰もが一度は耳にしたことがある楽曲なのではないでしょうか。 偶然にも、76年という年は、その後の世界中の音楽界に大きなインパクトを与えた年になったようで す。というのも、両氏の成功により音楽分野の垣根を超えたクロスオーバーミュージックやAORとい った大きな潮流が出来上がったからです。 そして、79年にはクインシー・ジョーンズがプロデュースしたマイケル・ジャクソンのアルバムが発 表され、その後の同氏はキング・オブ・ポップへと階段を駆け上っていきます。 日本では、フォーク音楽も円熟期を迎え、70年代初めからははっぴいえんどをはじめとする多くのミ ュージシャンが日本語でのロックに挑戦をした時期でしたが、このあたりを境に大きな方向性が決まっ たように思います。 そんな中で、我が国で登場したのが前回名前を挙げなかったサザンオールスターズです。 同バンドは78年のデビューですから時期がほぼ重なります。サザンはデビュー後もヒット曲を連発し ますが、不動の地位を築き始めたのは80年代です。 冒頭でボズ・スキャッグスを取り上げましたが、桑田さんの歌唱にはなんとなく彼の存在というか影響 を感じずにはいられません。 というのも、あるミュージシャンによればボズの歌い方を聞いて「こんな歌い方があったのか。これが わかっていたらもっといい作品が残せたのに」という談話を聞いたことがあったからです。(当人であ る桑田さんから聞いたことはありません) また、スペースがなくなってしまいました。次号に続きます。

(覆面ライター 辛見 寿々丸)